文人たちとのご縁

青柳寺第26世神部宣要上人は法務の傍ら、俳人・八幡城太郎としても活動をしておりました。その為、交流のあった多くの文人たちの句碑や墓地が境内に多く建立されております。
青柳寺第26世神部宣要上人(八幡城太郎)(1912~1985)
略歴:相模原市青柳寺生まれ。
横浜伊勢崎町裏の吉田小学校、神奈川県立一中(現希望が丘高校)を経て早稲田大学文学部国文科へ。
昭和20年、兄の急逝により青柳寺に入山。
日野草城に師事。
昭和28年、俳誌「青芝」創刊。編集責任者になる。
入山以前より交流のあった文人たちが「青芝友の会」に名を連ね、その連衆による「たけのこ句会」は宣要上人没の前年まで続いた。
句集「相模野抄」「念珠の手」「阿修羅」「飛天」など。
境内マップ

句碑・詩碑・記念碑
・作品・墓碑等
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1
高木蒼梧句碑
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3
八幡城太郎句碑
(日翁) -
4
山本つぼみ句碑
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5
田中冬二詩碑
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6
斉藤寿一作品
風の裂傷
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7
斎藤昌三翁筆塚碑
筆塚
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8
八幡城太郎句碑
(城太郎) -
9
たけのこ塚碑
たけのこ塚
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10
八幡城太郎句碑
(城太郎) -
11
石川桂郎句碑
(12)~(15)は墓地敷地内にございます。
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12
那須辰三句碑
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13
山 武比古墓碑
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14
人見 勇墓碑
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15
大久保匡句碑